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「今宵、フィッツジェラルド劇場で」

2007–07–31 (Tue) 05:31

原題 A PRAIRIE HOME COMPANION
製作年度 2006年
製作国 アメリカ
上映時間 105分
監督 ロバート・アルトマン
脚本 ギャリソン・キーラー
出演 ウディ・ハレルソン 、トミー・リー・ジョーンズ 、ギャリソン・キーラー 、ケヴィン・クライン 、リンジー・ローハン 、ヴァージニア・マドセン 、ジョン・C・ライリー 、マーヤ・ルドルフ 、メリル・ストリープ 、リリー・トムリン 、メアリールイーズ・バーク 、L・Q・ジョーンズ 、ロビン・ウィリアムズ


アップし忘れ…

アルトマンの映画って“登場人物を背景に溶け込ませる”じゃないですか。
そして溶け込ませた作業的痕跡を消し去る。
 
彼の映画を観ていると、白いキャンヴァスに人物をジグゾウのようにパチパチ填めていく―それはきっと脚本段階では踏まざるをえない工程だろうけれども―のではなく、あたかも既に人物たちがうようよしているキャンヴァスがあったかのような感覚を覚えます。
 
あとは「オレがやるのはキャメラでそのキャンヴァスを切り取るだけでいいのだ。」と言わんばかりに引いて引いて寄る、あるいは寄って寄って引く。 
背景から、そこに溶け込んでいる顔へと一気にクローズアップ。
と思えば、顔のアップから、一気にクローズバックして背景の彼方へ押しやる。

そしてザックザックとフィルムを切って張っていく。



一方で、その人物関係ってのは“1”~“1対1”の基本構造がジグゾウピースのようであるという裏腹っぷり。
“1”が“1”と出会いふっと1対になったり、1対がなにか実に軽い拍子で“1”と“1”となりスクリーンの波間に消えていくような…また1対がぽんとでると他の1対はぽんと押し出される…そんな儚ささえも感じるショット群。


たとえば「Dr.Tと女たち」は群集劇というより、リチャード・ギアがメインキャストの主人公映画なのだけど、しかしこの映画で生き生きときらめきを見せるのはスクリーンからリチャードを押しのける“女たち”なのだ。
そして、1時間半ほど全く輝くことなく女たちに引っ張りまわされたリチャードだからこそ、ラスト子供を取り上げたときに彼が見せる輝きにハッと感動する。
(この感動には“女たち”と対になることを剥奪されるという過程にもよるのだろうけども)



そんなアルトマンの文字通り人生の集大成である「今宵、フィッツジェラルド劇場で」。
冒頭、夕暮れを背に映る鉄塔。
キャストテロップとともに流れるは、次々に切り替わっていくラジオの音。
ひとつの音がぽっと流れ出ると、押し出されるように他の音が消える…そんな演出から既に“アルトマン映画”の始まりをイメージさせられワクワクする。


ゆったりとしたカメラワークに、現れては消えていく人物たち。
ラジオ番組最後の夜、という忙しないシチュエーションであるが、長年やってきた出演者、裏方たちの余裕も同時に共存しているという心地よい雰囲気、弛緩と緊張が劇場を包む。




アルトマンの少なからずの作品に見られるように、このフィッツジェラルド劇場にも“死”の匂いが漂う。
しかし、彼の描く“死”とは劇的ではなく非常に弛緩している。
いつの間にかひっそりと息を引き取っている。
まるで生きているかのようにさえ見える死。

弛緩しているのは死そのものだけではなく、死は秘密にされ、「周りの人々は序々にその死を許諾していく」その過程も弛緩している。

思えば“コートを着た女幽霊”も弛緩した存在だ。
いつの間にやら劇場に現れ、幽霊に出会うという劇的で衝撃的な出来事でさえ弛緩して描かれる。

この弛緩した死と、幽霊は一体何なのだ?



やがて最後のラジオ放送は終わり、劇場は解体の時を迎える。
劇場の死だ。
アルトマンはここでも“劇場の解体”を時間をかけてスクリーンに映し出し、弛緩した引き伸ばされた死を見せる。

あぁ、なるほど、番組の打ち切りが決まり、出演者、関係者たちがその終焉を惜しみ、そして番組が終わり、劇場の人たちは離散し、解体される…一連の“序々に死にゆく姿”を、弛緩した女幽霊が見守る映画だったわけだ。


…と腑に落ちた後にもしかし映画はもう少しだけ続く。
出演者たちが再び集まり、ライブ行脚をしようというのだ。
未だ番組を愛してる視聴者たちはいる。
その人たちのためにもライブをやろうと。

劇場はなくなっても劇場の記憶はみなの心に残り、まるでかつてのラジオ番組が生き返ったかのように、劇場が未だあるかのように出演者がライブをつづける。
その打ち合わせを女幽霊は見守っている。

女幽霊は“劇場の死”そのものではなく、劇場が幽霊になってまた視聴者の耳に番組が届くことを見届けたのであった…

(070628)
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