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「パパにさよならできるまで」

2007–07–16 (Mon) 14:21

原題 DISKOLI APOCHERETISMI: O BABAS MOU/HARD GOODBYES: MY FATHER
製作年度 2002年
製作国 ギリシャ/ドイツ
上映時間 114分
監督 ペニー・パナヨトプル
脚本 ペニー・パナヨトプル
出演 ヨルゴス・カラヤニス 、イオアンナ・ツィリグーリ 、ステリオス・マイナス 、クリストス・ステルギオグル 、デスポ・ディアマンティドゥ



おもえば、ギリシャ映画ってなかなかお目にかかれないっすよね。
アンゲロプロスとかしか思い浮かばん。

story
10歳のイリアスの大好きな父親が冷め切った家を出て行く。
その後、父親は死んでしまうが、イリアスは頑なに生きていると言い張る…
 
プロットだけだとなんだか子供向き映画の雰囲気を漂わせてますが、さり気に母親と叔父が出来てたりとかシュールさも垣間見せます。


これが、映像的遊びも楽しめてなかなかに良作。


4/5トリュフォー+1/5タルコフスキーって感じかしらね。
だから若干、芸術臭さはところどころ感じさせないでもないですけれども。


話的には所謂「成長物語」の体で、少年が父の死を序序に受け入れていくのだけど。
描写がね、ありがちな“何かが少年の中で序序に変化していく”ような感じじゃない。
外界の刺激によって、“少年の中にあった元来の何かが突如として現れる”ような―そんな、差し込まれるような描写がドキッとさせられます。
幼稚で無邪気な少年が、不意にパッと全く別人のような顔を見せる。

だけど、その別顔が差し込まれた次の瞬間にはまた見慣れた幼稚な少年の顔が戻っている。

あれっ?今の誰?

と、疑ってしまうような。 


その一瞬差し込まれた大人びた目は、しかしだんだんと長く、頻繁に現れるようになる。
どこかから現れた“別人のような”顔は、それまで少年の表側に定着してゆく。
かといって、“入れ替わってしまう”という表現でもなくって、そのあたりは絶妙。




そう、序序なる成長の物語というより、生来な何かが自分の中で発現するような感覚。
それによって、ラストにまるで死にに行くかのような姿(文字通り星になっちゃうんですけど)が“ある少年時代との別れ”に見事に繋がっていくのですね。
乖離と、その乖離した自分との別れ(あるいはそれを死といってもいい)という。


あぁ、そう「千と千尋」っぽいんだょ、この感覚。


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