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はやおのコクーン神話

2008–08–07 (Thu) 04:10

「崖の上のポニョ」

製作年度: 2008年
監督: 宮崎駿 上映時間: 101分

観てる数少ないながらも、今年はおもしろい映画が続くなぁと感心します。


ポニョで何におどろいたかって、これはシャマランじゃぁねーか!と。ひっくりかえってしまったのですね。

っつーか、レディ・イン・ザ・ウォーターver.はやお、といったほうがよいかしら。



先に書きましたが、「ハプニング」は“真っ当に”おもしろかったんですね。
この“真っ当”ってのは、捻れた作家だと思ってたクローネンバーグが「ヒストリー・オブ・バイオレンス」をつくっちゃった感じに近いかな。

シャマラン映画の感想で『ストーリーにヒネリがない』、なんて批判を見聞きしますが、彼の映画ってそもそも“型はSF、物語世界はファンタジーorホラー”という構造的なツイストがすでにあるわけです。
SFネタであるはずの宇宙人モノ、「サイン」でさえそう。

ですが、今回のハプニングはしょっぱなからSFを宣言して進むわけですね。

SFとファンタジーorホラーの違いは、ウソでもなんでも科学的に理屈がついてるっぽくあるかどうかで、ざっくり言えばSFは人間世界と同次元、ファンタジーホラーは人間世界とは異次元のモノとの衝突であります。

同次元/異次元というのは、さしあたって人間にっとって対抗策が見つかりそうか、見つからないかで、植物の花粉か、フェロモンが原因ならまぁ将来的になんとかなるかもしれないし、しかし、幽霊だったり、ハリー・ポッターに対してはサイエンスでは太刀打ちできない、ということ。

余談ながら、シャマランが主人公の家から遠く距離をとらないのは、ここの境界線を上手く利用したい故ではないかと思っています。
世界規模の人間・世界をモロに見せると、科学者やマスコミが映らざるを得なくなるので、それで当然、不思議な現象を科学的に説明しようとする人が映りこんでしまうからです。
そうすると、SFとファンタジー/ホラーの境界をふらふらと行き来しにくくなるわけです。

その証になるかどうかしかし、SF「ハプニング」の主人公の自宅からの移動距離は、「シックス・センス」以降のシャマラン映画では最遠距離ではないでしょうか?
そして、自宅から遠のけば、遠のく程、合理的な情報が入ってくる仕組みになっています。


さらに余談ですが、ちなみにかつての50年~60年代ディストピア映画に端を発する、主人公に身近なクライシスと世界の状況がリンクしているというSFの見せかたが流行った理由は、思うにですが、単純に特撮の技術のリミットと予算の問題だったのだろうと思います。
いずれにせよ、シャマランは当時の制約故に確立された型を利用して、ジャンルの横断をやってるわけなのでしょう。
(当時のまんまを踏襲しているのが「アイ・アム・レジェント」だったりするわけですね)



ポニョではなく、完全に「ハプニング」の話になっちゃってますが、もう少しお付き合いを。

というわけで、「ハプニング」にはかつてのリアルとファンタジーの融合・乖離というシャマラン汁がないわけなんですが、決っしてだからといって、つまらない、ということではありません。
”真っ当”といいながら、シャマランが所謂"ハリウッド映画職人”になっちゃったわけではない。
「ハプニング」は少なくとも、新たなツイストの段に来てしまっていました。
すなわち、その路線の先にあるものとは驚くことに…「回路」~「Cure」であるわけだ!



そう、「ハプニング」はSFの顔をしたホラーだったのです。


…あ。
確かに、矛盾があるようですね。


確かに書きました。
“型はSF、物語世界はファンタジーorホラー”というシャマラン汁が消えた、と。
しかし、舌が乾かぬうちに“「ハプニング」はSFの顔をしたホラー”といっている。

だけども決して矛盾はしていなくて、この二者がどう違うかというと。
前者は、〝主人公の身の回りを描写しながら、その出来事が世界とリンクしているかのように見せるあるSF的型をもたせながら、そのからくりをサスペンスさせることでファンタジー・ホラーの様相を呈する”ということであり、後者は、〝物語としてサイエンス的なからくりを与えておきながら映像として見せているのはまるでホラー作家がつくる画である”ということなんですね。
分かり難いでしょうが、厳密には違う階層のことを言っているのです。



ま、アリタイテイにいうと、8月1日に書きましたとおり、SFでありながら、いかに驚く“死に方”を見せていくか、というホラー志向の映画になっているっつーことなのです。
過程的ツイストというより、より構造的ツイスト。
すごく原理的でプリミティブ。

しかも、はっきりいって清よりも賢い。
というか、たぶん、スピ「宇宙戦争」を見て、あっやっぱりこれなんだ、と思ったかもしれない。
意外とホラーよりもSFの方が、合理的説明に割く時間は短くていいんじゃねーかと。
その分、〝死に方”を見せれるじゃねーかと。
(死にっぷりの豪華さはボクの体験の中ではどれをも凌駕していました。ただその分、ライオンとかはねぇ、という欲は出てしまうのですが)


…というわけで「ハプニング」は今のアメリカ映画にとって、実はヤバい映画になっていることは間違いないでしょう。
ある非ハリウッドの人たちがアメリカで映画をつくることがもはや不自然ではなく、必然にすらなっちゃったのですから。
んでそりゃ、パンフレットに鶴田さんの名があることも自然なわけです。

(これまでを前提とするなら、「宇宙戦争」が凄いのはね、自宅からの距離に応じて情報が拡大していくっつー客を飽きさせない常套手段さえも、かなりの部分放棄して最後までブッとばすとこですょ。その意味で断然うわてに違いない。)





超絶遠回りしましたが、で、シャマランの「ハプニング」が「回路」に行ったかと思えば、という話なわけです。
まるで玉つきのように、駿はポニョでレディ・イン・ザ・ウォーターやってんじゃんかと。

これまでの駿映画は現実世界とファンタジーの領域って割とはっきりしてたと思うんです。
2つの領域が出会うときは少なくともスケープゴートとして、田舎で少女と大人を乖離させる(トトロ)、あるいは時代を昔にする(もののけ姫)などとしてきたのです。
「千と千尋の神隠し」でさえ、いや、千と千尋こそ境界をナイーブに扱っていました。
ところが、ついにその一線を越えてしまったわけですねぇ。
もう、いいや、そんなの、と。

で、千と千尋、ハウルと経た駿が一線を超えるとどうなるかっつーと、シャマランの御伽噺を超越して、“神話”になっちゃうのは自然なことかもしれません。
ボクの知ってる限り、本来、八百万の神だったり、あるいはギリシャ・ローマ神っつーのは、ポニョの父のように実に人間くさく、そして身近に存在するものです。
キリスト教の神や聖人のように見守ってくれてるわりには、会いに行くには野山を越え、海を越えないと会えないものではない。
そして、出会ったら奇跡というものでもない。

神“々”が人を訪問することは“不思議”ではなく、極々自然に共生しうたものだったのだと思います。
(オデュッセイアを見よ!
その意味で、現代の文明社会と無信仰っぷりによって神と人デバイドしていた千と千尋から、真に“はやおのしんわ”が誕生した傑作であると思うのです。

神話らしく?絶妙にデフォルメされた画でしたけれど、デフォルメされた故に埋もれていたと思いますが、それにしてもこれまでになく構図が崩された瞬間がスゴかったように感じました。
たとえば、母が立てるアンテナ。
は、まぁまだしも、ポニョ父の指す月はグロいほどのインパクトがありました。
レイトで大人ばっかだったから子供のリアクションが凄く知りたかったんだけど、ありゃ五歳児とか泣かないのかね?


ちなみに今さらながら思い起こすと、断片的ながら一足先にポニョに先行していたのは「河童のクゥと夏休み」だったりして、やっぱヤベーよなぁと思ったりします。







死に方を見せる、ということで言えば、たとえば「伝染歌」なんて超絶おいしいマテリアルだったはずなんですよねぇ。
なにせ歌を歌った人たち片っ端から、自殺しまくるわけですから。

しかしたまたま監督になった、原田眞人にはその気持ちはさらさらなかったってだけで。
作品のしばりは監督だけによらないのは重々承知で、その上で彼にその気持ちがないってのは丸わかりなのが哀しいですが、決して原田監督が嫌いなわけじゃなくそれどころか好きなんですけれど。
クライマーズで群像劇がいいと書いたけれど、それは間違っていて、正確には、画面いっぱいに人がわらわらいて、その喧噪を見せるのが上手いんですよね。
それに加えて、個々の人物に与えるさり気ないクセや、動作の演出による効果がバツグンですから、キャラが映えてみえるんでしょうね。

ただ、どうも原田さんが興味あるのは人間で、確かに描写は上手いんだけど、それ以上/以下の執心を感じなくって、しかも妙に完成形な雰囲気だから、これからどうなってくのかって楽しみを抱ける人ではない。

伝染歌でも、クライマーズ同様、ヒッチコックあるいはヒッチコキアン・デ=パルマなら許すまじき安易な落下シーンがあったりねぇ…、koGAL、KAMIKAZEを見たころは期待させたんだけどなぁ・・・。


ひつこいですが、だからと言って伝染歌がYahooレビュー2点前半になるほどツマラナイとは決して思わないですょ。
いや、むしろつーかオレ、なんでこの人好きなんだろうな…
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